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民主党は郵政事業の事業仕分けをせよ

2009/11/12 01:16

 

 初歩的な話であるが、同じような説明が繰り返しなされるので、基本的な反論をここで確認しておきたい。

 

 一ヶ月前頃の日曜朝のテレビで竹中平蔵氏が大塚副大臣に対し何度も「郵政民営化によって地方の郵便局が減少した事実はない」と反論していた。大塚副大臣はなんらその事実に対し再反論することは出来なかった。なぜなら事実が竹中氏の言うとおりだからである。郵便局の減少は日本郵政公社時代までの出来事である。強いて言えば丸二年間の日本郵政株式会社の時代に郵便局の大きな増加はなかった。しかし、公社時代までの郵便局の閉鎖が反転し部分的な再開など「改善」の試みはなされていた、そういった段階であったと民営化の二年間は総括できるのだ。

 

 しかし、例えば『週刊ダイヤモンド』11/14号の郵政見直しに関する記事に典型的に見られるように、以下の引用によるような郵政民営化批判が鸚鵡返しように無批判に繰り返されてきた。

 

 《・・・・・郵政民営化の見直しについては、終始、民主党よりも国民新党が主導権を握って議論してきた。彼らが見直しに動いたのは、郵政民営化の弊害が如実に表れてきたからだ。》

 

 民営化批判の欠陥の最大の特徴は、時系列の意識的なとしか言いようのない混乱、無視である。国民新党はその新党結成の経緯からして郵政民営化自体のアンチテーゼ、見直しありきの存在であって、『民営化の弊害』の出現に促されて『見直し』に動いたわけではない。『見直し』のためには『民営化の弊害』をなんとしてでも探し出したり、作り出したりせねばならぬ運命、宿命、使命がある立場なのである。

 

 ここに国民新党の支持基盤、特定郵便局の立場も重なるのであり、その使命は小泉郵政民営化二年間における郵政事業当事者として面従腹背そのものではなかったか。次センテンスにおける『利便性』の行方はまさに彼らの掌中に委ねられていたはずであろう。

 

 《利益優先主義が徹底されるあまり、地方の不採算地域を中心に、郵便局の統廃合が行なわれたり、郵便局員が削減されたりして、地方に住む人びとの利便性が著しく損なわれるようになった。》

 

 冒頭で触れた如く、こういった文脈における時間的な因果関係の意識的な無視は『民営化の弊害』のフレームアップそのものである。『郵便局の統廃合』は民営化スタート時までに完了していた。郵便局員の自然減ならぬ削減の実態はなく、彼ら準公務員としての身分継続がこれからどうなるかは官僚OBの斉藤新社長の意向に左右されるだろう。

 

 《また、独立採算の四分社体制に限界も見え始めた。郵便の集配業務に従事する局員に、郵便貯金の引き落としを頼むことができなくなるなど、とかく過疎地の住民の利便性が損なわれた。》

 

 今年度NTTに次ぐ法人税の納税を果たした会社の体制の限界が『見え始めた』としての真っ先の例示が民営化以前より原則禁止の集配業務と貯金業務の兼務事例とは恐れ入る。どのような体制になったとしても個人的な信頼関係でリスクを覚悟に「親切心と依頼心」で行なうしかない行為をもって『過疎地の住民の利便性』を解決してしまってはならないだろう。このようなやり方でのサービスが普遍性を持たない事くらい、都会では想定されえない、あったとしたら気持ち悪いサービスであることくらい書いてて分らないのか。続けてこう述べる。

 

 《すなわち、全国津々浦々において同一サービス(基本は同一料金)を提供する、という〝ユニバーサルサービス〟の実現が難しくなってしまった。》

 

 過疎地におけるサービスの水準を全国一律でする事自体ナンセンスである。郵便、貯金、保険の一体サービスにしても過疎地、離島など地域の特性に合ったサービスは決して全国一律と言う様な中央集権的な考え方に基づくのではなく、郵政事業の個々のお客さんを大切にする視点より様々なサービス展開を個別対応できるよう全社を挙げて資源投入する経営を目指すべきだろう。〝地域主権〟の下での〝ユニバーサルサービス〟とはそのようなものではなかろうか。

 

 《郵政民営化の弊害が、〝地方切り捨て〟となって表れたことに危機感を抱いた国民新党が、民営化見直しを強く訴えたのである。その方針は、生活者保護、地域主権をモットーとする民主党の基本理念とも合致する。》

 

 国民新党は〝地方切り捨て〟の尻馬に乗ってその自らの演出を民営化見直しの目的に利用した。特定郵便局の住所こそが1丁目1番地であった。地域主権が基本理念の民主党はむしろ官僚OBをトップにいただく全国一律の中央集権と闘わねばならない立場であり、国民新党に己の基本理念を骨抜きにされているという危機感を持たねばならない。

 

 民営化以前の郵政事業には一銭の税金も投入されていなかったという神話がいまだに語られているが、『ダイヤモンド』記事の同じページには郵貯に対する利子補填の形で丁度郵政の人件費相当額の税金が投入されてきてた事実が高橋洋一氏の言として紹介されている。かように郵政民営化における議論は未整理のままあたかも判断停止のカオス状態で正当な評価がなされていない。あまりに国民新党やら『かんぽの宿鳩山邦夫やらのプロパガンダが垂れ流しで放置され続けているのではないか。

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日本は妄想的社会主義国家に近づきつつある

2009/10/30 02:36

 

  麻生さんを始めとして安倍さん、鳩山邦さん、西村さんと近年の自民党の主張が「社会主義的」になって来ていたことが、今回民主党による政権交代が実現したことによって改めて明確になっている。

 自民党民主党を野党として有効に批判しようとすればするほど、自身が余りに民主党に相似であることによる突っ込み不足、民主党が自身の姿に擦り寄ってくるが如くに批判の矛先が鈍ってくるのを感じるのではないか。

 個々の政策ではなく、国家の基本的枠組みを構想する観点からすると、以上の意味で今真に民主党を批判できるのは、河野さん、みんなの党の渡辺さんであることは明白ではないかと思う。

 「湯煙の中の一杯さん」も言われているが、 「全国一律」などという考え自体が、地方分権という思想には馴染まない中央集権的な発想なのに、何もこだわりもなく「全国一律」が語られている。「ユニバーサルサービス」との表現で社会主義的な発想が薄まるとでも思うのだろうか。

 具体的に起きうるであろう事態に即して考えればよい。「一杯さん」は子供手当について、地方分権の時代においては、地方の事情に合わせた施策が当然あってよいと述べられていたが、郵政民営化の見直し論に関せば、と言うよりもはや、郵政国営化における「全国一律」のサービスについてここでは思い巡らせてみよう。

 郵便、貯金、保険の一体サービスがことさらに強調されるのは離島、過疎地のイメージが先行することによる。ここ最近マスメディアで伝染、宣伝され続けた田舎の郵便局の映像、遠いところへ訪ね届けるイメージとしての「ポストマン」番組制作。広告代理店を駆使したかのようなイメージ戦略がさりげなく展開されていたと想像する。

 さて、郵便においてこそその重さ、大きさはどうしようもないが、距離に関する均一なサービスは、電気、水道のようなインフラ整備に比して考えうる業務ではあろう。

 では銀行機能はどうだろうか?対面の窓口業務が全国くまなく必要であろうか?これは生命保険も同様である。前者はキャッシュディスペンサー、後者は通信販売による代替が可能だろう。

 過疎地の年寄りのイメージをもってことさら強調される一体サービスは、むしろ「全国一律」としての都会の中においてイメージしたほうが事態を明確にするだろう。そのような「全国一律」のサービスは実行不可能であり、田舎以外では不必要ですらある。

 まさに一体サービスなるものは中央集権的になされるべきものでなく、地方の実情に合ったやり方で地方分権の下で「全国一律」でなく実施されるべきなのだ。

 ましてや郵便局ネットワークとかイメージのもと、介護、行政サービスの拠点にするという聞きざわりはよくとも実行不可能な、あるいは実行すべきでもないようなことまで軽々と口にされている。

 介護の現場と郵便局を無理やりか安易に引っ付けて何をしようというのか?介護は介護でやるべき事が現状においても見つかっているだろう。

 また、行政サービスは本義、役所ですべきである。役所業務でさえ「全国一律」でもありえない。田舎、過疎地域には村役場、町役場の機能こそ撤退し得ないユニバーサルサービスであろう。ここでユニバーサルサービスとは「全国一律」のサービスではなくもっと住民密着の公務員の仕事である。同じサービスは都市、都会では当然別の形になるのである。

 最後に、過疎地域での訪問サービスみたいなイメージを郵便局に求めるべきでないこと、今までの文脈で想像できるであろうが、再度強調したい。それは役所の公務員としての使命感の下にされるべき仕事であり、むしろ郵便の機能が郵便局としてではなく、役所の公共サービスの一環の機能として果たされるべきだと思う。なぜならそのような訪問サービス的形態をとるサービスは公的私的を問わず、高度な倫理性、公共意識を伴ってなされる必要があると思うからである。とてもではないが「全国一律」で展開されうる業務ではない。

  

 

 

 

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麻生はなぜ「国家社会主義者」なのか?

2009/09/09 02:37

 

 故郷を求めてさんのブログでは再三「麻生は国家社会主義者」であると述べられています。

 

 私も同感なのですが、なぜそう思うか一つの切り口を書いてみます。

 

 あの城内議員が言ってたのですが、郵貯銀行、かんぽ生命の株式が完全上場化されると外資によってハゲタカファンドのイメージでしょう、これら会社は乗っ取られてしまう。乗っ取られるという事はこれら会社が持っている何百兆円という資金が預金者、生命保険加入者のものでなくなるというイメージになるんですね。驚くべき飛躍をする想像力です。これに匹敵する連想力は「男は皆狼」説程度でしょうか。「女がどれ程のもんじゃい」位の突込みを入れたくなりますが。

 

 株式市場に上場されれば必然に外資の餌食になるというひ弱な考え方がなぜ郵貯銀行、かんぽ生命の場合に大手を振って出てくるのか。日本政策投資銀行などの旧政府系金融機関の民営化の逆行、空港の外資規制などでも同じように感じます。

 

 形式的に考えれば、それでは上場企業はすべて外資の餌食予備軍なのか?郵政の民営化が外資の要求に応えるだけの政策だと少しでも許容する考え方をとれば、多かれ少なかれ資本主義の株式市場で外資の餌食にならないために「公営企業」が一番であるという考え方を暗に受け入れてしまう(論理的に無茶苦茶ですが)。

 

 「公営」ならば官僚がコントロールすると言ってるのと同じだろう。まさか共産主義の中国でもない「公営企業」オンリーではないだけの話。語らずとも官僚イクオール国家社会主義の実態となる。

 

 

 これは城内議員の場合で麻生ではないが、官僚を擁護する麻生の一連の発想、行動は城内議員と全く同じレベルにあると言えます。

 

 官僚主導がいよいよ国家社会主義にならざる得ないのが1990年代以降のグローバル経済の宿命だと思います。逆に言えば、グローバル経済に対面せざる得ない現実に官僚国家社会主義として関わるか、出来うる限り民間の自由な活動の場として共同関係を築いていこうとするかの二者選択だと思います。

 

 

 

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記事は校正してから掲載せよ

2009/06/18 22:48

 

2000平方メートルの面積にテニスコートを7面半も取れない(せいぜい3面)。どっちかの数字が正しいのか?どっちも正しくないのか?どっちかだ。

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鳩山大臣のガバナンスってなんだ?

2009/06/03 15:00

 

 日本郵政の株主は国であり、実際上は財務大臣が唯一の株主権を行使しうると言われるのであるが、その権限の源泉は、いまだかつてない事情である郵政民営化法の成立にしかありえない。

  また、この特殊事情下におけるコーポレートガバナンスの基準も、郵政民営化法の規定を忠実に実現していく他にはない。

 通常の所有と経営の分離におけるコーポレートガバナンスのあり方を問うこと自体、日本郵政株が上場されて初めて議論の俎上に乗りうるものである。 それまでは、たとえ意思の伝達の齟齬があったとしても、それはガバナンスの瑕疵と言われるような話ではないであろう。

 

 

 

 

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「派遣切り」は悲劇か?(左翼に問う)

2009/06/02 23:50

 

 派遣の形態は、一方からすれば厳然たる事実として外注費である。

 賃労働は雇用者と被雇用者の契約である。

 この関係を、中間業者として派遣業者が媒介する。

 賃労働は、媒介業者としての派遣業者たる雇用者と被雇用者たる派遣労働者の関係として存在するようになった。

 この関係は現前たる日本国憲法の法の下の平等の原則に則って尊重さるべき関係であろう。

 派遣形態を望む者は、その効用の享受とともに、この前提の上に立つ権利意識の自覚が求められる。

 就職は、望むと望まざると賃労働の選択を覚悟せねばならない決断である。

 派遣形態を選択できる時代は、それがない時代より一歩前へ進んで、望ましい時代になってはいないのか?

 派遣形態を望む者に、「派遣切り」を悲劇とする感傷はありえない。

 派遣形態を選ばざる得ない者にとっても、一歩前進した状況を後戻りさせる事だけは避けねばならぬのではないか?

 

 

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『かんぽの宿』は『国民共有の財産』か?

2009/05/23 23:55

 

 かんぽの宿は(旧)簡易生命保険法第4章、第101条によって『加入者福祉施設』として定められた。

 

 鳩山総務大臣は4月3日、『「かんぽの宿」報告徴求、精査分析結果(16の問題点)』の記者会見において、かんぽの宿は、税金で作ったものではなく、保険料を積み上げた国民共有の財産だという(本来はこういった表現もおかしなものだ。税金で作ったものこそ国民の財産だろう) 。しかし、物事は短絡的でなく、順々に考えなくてはならぬ。法律の趣旨に則り、かんぽの宿は第一義的に、加入者の財産と規定せねばならない。

 

 第101条第3項では、加入者の施設に要する費用は公社の負担とする、とあるので要は施設は加入者の保険料で設けるし、維持していくことになるので、結局、費用は加入者の負担であることに変わりはない。また、保険料の運用資金が支える面があるとしてもその由来が保険料でしかない意味は大きい。

 

 ここで鳩山大臣は会社の保養施設を持ち出して、「それと同じ」とやるが、それは従業員が使用する福利厚生施設であり、その費用は会社の人件費である。こちらに「採算」もないし「赤字」云々のないのは当たり前で、殊更かんぽの宿と同列に扱うのは無茶だ。「かんぽの宿は儲けてはいけない」施設と持って行きたいからではあろうが適切な類推ではない。

 

 加入者といえどもお客さんである。「利益を上げることが禁じられている施設」であるか「採算を取る施設でないことが明記されている」かどうかは、第101条の中に明記されてないことは確かである。また、加入者の保険料で運営してる以上、赤字を出してもいい施設かどうかというより、赤字を出さない方がいい施設であることは、加入者の利害を考慮すれば当然である。

 

 さらに第101条第2項は、加入者以外の利用で利益を上げることを肯定し、第3項では、利用者の負担で施設に要する費用を充てるとしているのだから、かんぽの宿が「そもそも赤字という概念が通用しない、保養施設」だという強弁は出来るものではない。

 

 そして、加入者の財産たるかんぽの宿は、郵政民営化法の成立とともに、単に「宿泊施設等として日本郵政株式会社が承継」するものとなり、「日本郵政株式会社法により、平成24年9月30日までの間に譲渡又は廃止することが義務付けられ」た。

 

 「郵政民営化を否定する立場に」全くないと明言する鳩山大臣だが、彼にとってのかんぽの宿民営化とは、民営化前までは儲けてはならない施設で、低料金で心ならずも赤字を強いられていた状態だったものが、民営化後は、経営努力をして自ら収益改善が初めてできる状態で、黒字化は十分可能という素人経営談議の話に矮小化されており、郵政民営化法の趣旨は無視、実質否定されてると言って良い。

 

 しかし、上記の郵政民営化法の下では、第三者検討委員会の委員が言うように、「法律で『廃止又は譲渡』と入ってるということは、かんぽの宿の社会的使命が終わったということ」であり、「経営方針を転換して、いかに採算性を高めるか、そのような経営努力」が「必要という事業でないからこそ、この法律で期限付けて『廃止又は譲渡』を謳っている」ということになるのである。この論と反対のことを言ってる人(鳩山大臣)は、端から郵政民営化に逆らっているのである。

 

 よって、日本郵政に対し事業計画の認可を出すにあたって、『「かんぽの宿」の黒字化を目指せ』というような監督上の命令を出す事自体、郵政民営化法を否定することになっていると言えよう。 

 

 結局、保険加入者の財産である「かんぽの宿」は、(旧)簡易生命保険法から郵政民営化法の下での経過的『廃止又は譲渡』状態を経て、完遂され、最終的に平成29年9月末までの金融2社が完全民営化される時までに、株式会社かんぽ生命保険の株価評価に反映し、また日本郵政株式会社の株価評価にも反映してゆくと考えられる。その時初めて「かんぽの宿」は解消したことにより、逆説的に国民共有の財産になったと言えるのである。

 

 郵政文化というものがあるかないかは問わないとして、「かんぽの宿」が象徴的な郵政文化の一つであるとする説によっても、「かんぽの宿」がかんぽの加入者福祉施設として設けられ、郵政民営化法の成立によって「宿泊施設等」になり、あと3年余りで「廃止又は譲渡」されるという運命は変わらない。一括売却の契約を破棄してまでのこれからの個別売却がいかなる混乱をもたらそうとも、その責任がつとにその契約を破棄させた鳩山総務大臣にある事実だけは消えない。

 

 

 

 

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『減損処理後の帳簿価格を基準とすることは不当』か?

2009/05/23 00:07

 

 鳩山総務大臣は今年1月より再三にわたって、減損処理に言及、例えば4月3日の『「かんぽの宿」報告徴求、精査分析結果(16の問題点)』の記者会見では「・・・減損処理をされた資産を収益事業として譲渡する・・・場合には、減損処理後のものすごい低いマジックによって下げられた帳簿価格を使うことは、これを基準とすることは不当という判断をいたしました」という。

 

 ならば、赤字が発生したが、不採算事業として減損処理をしないまま、その資産を収益事業として譲渡する場合はどうなるか?鳩山大臣の望むように減損処理しない高い帳簿価格を基準とした場合どうなるか?

 

 ここで前もって断っておくが、「収益事業として譲渡する」という条件は外すことは出来ない。買い手に地方公共団体などを期待する向きもあるが、それは再びの公営化であって税金という国民の負担に依存する道は許されない。民間の福祉施設など候補に上がったとしても、それら団体にしても赤字経営は自らの首を絞めるのみで、いわゆる収支トントン状態にしても利益を上げていく経営にあって初めて実現する厳しい経営管理の賜物であろう。

 

 さて、法政大学経営学部の神谷健司教授によれば、「減損会計は・・・将来の収益に貢献しなくなった簿価を当期に減損処理し、将来の損益計算を合理化させようと」するもので、その財務的効果は「土地を除く事業用資産の場合、翌期以降は減価償却費が減少するために、将来の利益は増加」するという(『税理士界』第1256号、平成21年5月15日)。

 

 鳩山大臣が望むように高い帳簿価格を前提にすればどうなるか。鳩山大臣がこれまた望み、日本郵政㈱が立ち上げた、不動産売却等に関する第三者検討委員会の第二回議事録によれば、平成17年度より19年度にかけて、今回売却対象となったかんぽの宿に関わる減損は1400億円。したがって、減損処理をしなければ、帳簿簿価は1400億円高くなる。この数字の大半が建物だと仮定すれば、定額法、耐用年数39年として毎年36億円近い金額、損益は悪くなる。もちろん中には建物以外の償却資産も土地も入ってるだろうから数字は概算だが、大筋は変わらない(ちなみに、取得価額2400億円の内訳は、新聞に載った民主党調査チームの数字によれば、土地300億円、建物等2100億円)。

 

 神谷教授が教科書的に言われるように、減損処理をすればこそ、将来的な収益構造は改善され、よってかんぽの宿にしても相対的に高い鑑定評価が将来にわたってもたらされるという、貸借対照表と損益計算書の関連が、鳩山大臣には全く理解されておらず、それがマジックに見えたとは、何と言おうか。大臣にレクチャーした「総務省の優秀な皆さん」が無知だったとは考えられない。

 

 以前にも指摘したが、国会での参考人意見として、経済ジャーナリストの町田徹氏が年々かんぽの宿の損益が改善されていると述べてたが、これも第三者検討委員会の2月26日の日本郵政㈱の公表した損益状況の資料によれば、減損処理をした平成17年を画期として60億円ほど赤字が激減し、以後、減価償却費が大幅に漸次減少したことが、注で特記されている。したがって、経常利益のマイナスが年々少なくなったのは、町田氏が言うように、経営が改善されたのではなく、議事録のある委員が言うごとく、平成18年も、19年も減価償却前では、同じ30億円の赤字のままである。

 

 結論として、「儲けてはいけない施設であるということを理由にして、値段を減損処理して不当に下げて、これをたたき売って出来レースの中で、どこかに利益を得させようとしたこと、こういうふうに見ることができると思います」という見解は、減損会計に対する根底より間違った考え方の上に展開された偏見であると言えよう。

 

 所謂『16の問題点』の2番目の論点に関しては以上。

 

 

 

 

 

 

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仰げば尊し2009スタート

2009/05/15 01:25

 

 初めて始めます。

 2回目書いてます。

 下調べもなく試行錯誤してます。

 名前も変わりました。HNですか。

 とりあえず、初エントリーです。載るかな?

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